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2016.09.01

連載|古図面の旅 No.10

番外編 小岩井農場の歴史的建造物群

野村 和宣

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今年10月、当社の前身である三菱合資会社地所部営繕係が設計を担当した小岩井農場倶楽部が、国の重要文化財に指定されることが決まりました。今回はこの倶楽部の古図面とともに、小岩井農場の歴史的建造物群について紹介します。

01 本部事務所(明治36年)
02 上丸一号サイロ(明治40年)・二号サイロ(明治41年)上丸四号牛舎(明治40年)
03 上丸四号牛舎(明治40年)
04 倶楽部(大正3年)
05 四階倉庫(大正5年)

小岩井農場の歴史的建造物群と「倶楽部」

小岩井農場の開設は1891(明治24)年。近代農場の開拓に夢を抱いた共同創始者である小野義眞(おのぎしん 日本鉄道会社副社長)・岩崎彌之助(いわさきやのすけ 三菱社社長)・井上勝(いのうえまさる 鉄道庁長官)三氏の頭文字をとって「小岩井」と名付けられました。岩手山の裾野上に位置する土地は火山灰土の不毛の原野でしたが、土壌改良を行い防風・防雪林を植林する大々的な整備が開始されました。植林はやがて農場面積の3分の2に広がり、農場を守る役割を果たしながら山林事業へと発展していきます。不毛の原野は一世紀以上のたゆまぬ努力の中で、緑豊かな大地へと生まれ変わりました。JR田沢湖線小岩井駅から県道219号線をまっすぐ岩手山に向かって走っていくと、雫石町から滝沢市にかけて約3,000ヘクタール(中央区と港区を合わせた大きさ)の広大な農場が広がります。そして、その県道沿いに小岩井農業の主要な施設が立っています。明治末期から昭和初期にかけての建造物のうち21棟が今年度国の重要文化財に指定されることになりました。建造物群はそのほとんどが現在でも現役で使用されており、牛舎、倉庫、事務所などからなりますが、本部エリアに1914(大正3)年に設計・建設された「倶楽部」があります。木造平屋建て・寄棟屋根・下見板張外装で、来客の応接・宿泊、従業員の集会施設として建てられたものです。建物は当初1899(明治32)年に別の場所に建築されましたが、1914年に現在地へ移築され大規模に改修・増築がなされました。その後、1927(昭和2)年にも大規模改修が行われ、現在は主に会議室として使用されています。

小岩井農場に関する当社の古図面

重要文化財となった小岩井農場の建造物群21棟のうち、牛舎や四階倉庫などは盛岡の戸澤甚太郎(戸澤組)ほかの設計であることが知られていましたが、「倶楽部」については設計者が不明でした。今回、当社が管理する古図面を調べたところ、小岩井農場関係の図面の中に倶楽部に関するものが15枚存在することが判明しました。その中に1914(大正3)年に作成された「小岩井農場倶楽部移転改築設計図」「小岩井農場倶楽部移転増築設計平面図」というタイトルの図面があることから、これらは現在の倶楽部の移築・増改築時の設計図であると考えられます。図面の中に設計者の印鑑は確認できませんでしたが、作成時期と図枠の特徴から、1908年から1920年まで三菱合資会社地所部営繕係に所属していた津田鑿(つださく)の設計だと思われます。津田鑿は、保岡勝也技師長の時代(1900~1912年)に技師として活躍した人で、独立後に岩崎家末廣別邸(1927・昭和2年・国登録文化財)の設計も行っています。残されている15 枚の倶楽部の図面の構成は、平面図2枚、詳細図7枚、詳細図の下書き6枚です。小岩井農場からお借りした内部の写真と詳細図(図面:小岩井農場倶楽部設計図)を比較すると、内装の特徴である腰壁や天井の形状が図面と一致しています。当社保管の図面と現況建物を比較することによって、1914年移築・増改築竣工時の内外装部位の所在を確認することができるでしょう。

今回の重要文化財指定に伴う調査において、実際移築されたのが二間だけであったため、1914年に当社によって設計された倶楽部の建物をもって新築と扱うことにされました。

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野村 和宣

のむら かずのり

建築や都市を鑑賞する際、専門家の意識を取り除いて、できるだけ素の人間としての自分になって観るように心がけています。美味しい料理が理屈なく美味しいと感じられることと同じように。

Update : 2016.09.01

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