2005年は建築家前川國男生誕100年の節目の年であった。先日、東京ステーションギャラリーで開催されていた「生誕100年前川國男建築展」を訪れた。日本のモダニズムの先駆者として近代建築の歴史に大きな足跡を残した建築家、前川國男が一貫して追求したのは日本の文化、気候、風土を生かす建築であり、決してきらびやかでなく、誇張もなく、自然な落ち着きがあり、心に安らぎを感じさせる建築であった。私も含め前川國男から大きな感化を受けた建築家は数知れず、それを裏付けるように、ギャラリーは老若男女で大変な混み合っていた。金がすべてと言ってはばからない軽薄な人々が持てはやされる社会にあって、いまだに前川國男が多くの人々に関心を持たれていることに驚きと喜びを感じた。ステーションギャラリーを出ると、皇居に続く行幸通りの両側に立つ、建て替えられた丸ビルと工事中の新丸ビルの巨大な鉄骨の骨組みの向こうに東京海上日動ビルディングが静かに佇んでいた。約40年前、丸の内で超高層ビルに挑戦した建築家前川國男がそこにいるように思えた。
バブル経済とその崩壊は暮らしと文化、歴史を無視した開発は長続きしないことを証明した。これからの街づくりにその反省を生かさなければならない。振り返るに明治以来、日本の都市はスクラップ&ビルドで目まぐるしく建物が更新され、街並みが変わってきた。私が再開発に携わっている丸の内でも、百数十年の間に大半のビルが2回から3回建て替わっており、ビルの平均寿命は30~40年程度でしかない。何年かぶりに訪れた東京の街で、その変わりように道に迷ったという人の話すら聞いたことがある。ロンドン、パリといったヨーロッパの都市では、数百年の歴史を背負った建築が当然のように存在するのと比較すると、東京はまるで仮設建築の世界である。
ここらで我々も数百年先を見据えた街づくりをすべきであろう。地球環境のことを考えればなおさらである。もちろん一部の保存運動家のように、何でもかんでも残せというようなかたくなな思想によって街を博物館にしてはいけない。街はその時々の社会と人々の活動を映し輝くものである。新しいものと古いものとの調和こそ街には必要なのである。ロンドン、パリに負けない魅力的な街をつくるためには、街の歴史を受け継ぎ、さらに深みを増すように、人々に親しまれてきた建築をランドマークとして残していくことが有効だろう。
そして、歴史を積み重ねていくためには、街そのものが多くの人に開かれる必要がある。丸の内の変遷を見ても江戸時代は大名屋敷、明治時代前半は陸軍の関連施設、明治後半からはビジネス街と、ある意味で限られた人々の街であった。しかし、丸ビルが新しく建て替えられて以来、人気のなかった土日にも散策、ショッピングを楽しむ人々でにぎわっている。日本橋や六本木も含め、世代を超えた多くの人々が街づくりに関心を持っていると感じる。老若男女が街づくりの成果を共有し進化させる時代になったといえる。長年、丸の内で働きリタイヤされた方が丸の内を訪れ、街の移り変わりを楽しんでいるという話も聞いた。時の流れに耐えて豊かに成熟し、環境に溶け込みながら風景を形づくる建築を模索した前川國男にならって、人々の心に残るような街づくりを心がけ、次代につなげていきたい。
Profile
元株式会社三菱地所設計 代表取締役副社長執行役員
岩井 光男
いわい みつお
Update : 2006.04.01