約30年間、三菱地所/三菱地所設計で数多くの建築保存再生プロジェクトを手がけた鯵坂氏は、2013年に同社を退社後、鹿児島大学大学院理工学研究科建築学専攻教授に着任。近現代建築の保存再生、地域活性化の活動に取り組んでこられた鯵坂氏に、これからの建築の保存再生のあり方について伺います。
Q : 経済優先のスクラップ・アンド・ビルドが進む一方、「Before-After」と称されるリノベーション、ストックの活用も社会に浸透しつつあります。建築を「保存」するという考え方は、古くはいつ頃からあったのでしょうか?
A : 建築の「保存」の始まりを紐解いていくと、古代ローマ繁栄後、帝国の崩壊とともに衰退した建築技術が、ルネサンスで急激に復興し、マニエリズム、バロックへと花開いてゆく、西洋建築史の流れの中にあります。古代ローマは、ローマン・コンクリートと呼ばれるコンクリート建材を使ったコロッセオ(1世紀)に代表される、高い建築技術を誇っていました。しかし、コロッセオも次第に使われなくなって採石場と化し、技術も途絶えます。そのため、古代ローマ文化の復興を目指したルネサンス期(14-16世紀)に、いざ同様の建築物をつくろうとしても、ドームのつくり方さえわからなくなっていたのです。手始めに古い彫刻の修復から行われる中で、失われた高い技術が再発見され、それらを見直し、学ぶ動きが起こります。あわせて修復方法や保存のあり方についても議論されるようになりました。
その後、転機となったのは18世紀末のフランス革命。貴族や教会が手放し、国有化した歴史的建造物が、市民のヴァンダリズム(破壊)で失われることを懸念したフランスの詩人、ヴィクトル・ユーゴー(1802-85年)は、「建造物には2つのものがある。用と美である。用は所有者に属し、美は皆に属する」(『破壊者との戦争!』、1825年)と主張しました。19世紀半ば、パリではジョルジュ・オスマン(1809-91年)による大改造が始まるわけですが、効率性ばかりを重視する改造に異議を唱えたオーストリアの都市計画家、カミロ・ジッテ(1843-1903年)らの活動もあり、現在のパリは、歴史的建造物から500m以内は許可無く建物を建てられないという法律などで守られています。今でも、100年前の車を走らせれば、100年前のパリの映画が撮れるような街なのです。
19世紀末になると、ようやく日本でも建築の「保存」が始まります[スライド1]。明治時代の文明開化後、文化流出への懸念から制定された「古社寺保存法」(1897年)です。20世紀に入ると、世界ではCIAM(シアム、1928年-1959年)という近代建築国際会議の中で建築の保存が議論されるようになり、1964年のヴェニス憲章をきっかけに、現在のICOMOS(イコモス)が設立され、UNESCO(ユネスコ)が世界遺産の審査をするようになりました。
一方の日本は、戦後、GHQ占領下での法改定で「文化財保護法」(1950年)が制定され、重要文化財の指定が始まりましたが、登録有形文化財の制度は1996年からとまだ新しい。世界遺産条約は1972年に採択されましたが、日本の加盟は先進国では最も遅い1992年。日本は世界的に見ればヘリテージ(遺産)後進国なのです。特に、街並みにおける歴史的建造物の公益性については、ニューヨークなどではランドマークとして認められていますが、日本ではあまり重要視されてきませんでした。
Q : 日本における建築保存の議論はいつ頃、どのように始まったのでしょうか?
A : 実は三菱地所や三菱地所設計は、その契機に大きく関わってきたと言えます。1968年の三菱一号館解体、1975年の東京銀行本店(現:三菱UFJ銀行本店別館)解体では保存運動・反対運動が起こりました。1970年、鹿島出版会の雑誌『都市住宅』は、1年にわたって「保存の経済学」という特集を組み、建築家や学者が保存案を提案。この頃、保存に関する議論がかなり盛り上がり、個別の建物に限らず、1975年には「重要伝統的建造物群保護地区」制度が発足。現在、全国に約120地区あります。
また、先ほど申し上げた通り、1996年に登録有形文化財、1999年に「東京都重要文化財特別型特定街区」など、保存を推進する制度ができる一方で、2002年、今度は都市再生特別地区という都市計画制度が創設され、保存を足止めする流れも出てきます。やはり国にとっては経済の発展が最優先事項であり、建築の保存のあり方は揺れ動き続けてきました。
そんな中、2017年の日本建築学会広島大会で「コンクリートの中性化は、建物の寿命とは関係がない」という材料研究の発表がなされ、建築の老朽化を理由にした解体の歯止めになることが期待されています。これは海外ではすでに常識となっているのですが、日本で周知されたことは、保存再生にとって重要な方向転換です[スライド2]。
また、文化庁は昭和40年代より、全国の古い民家や近世社寺、近代化遺産、近代和風建築を調査し、基準を定めて重要文化財に格上げする活動をしてきましたが、2015年からようやく近現代建築・土木分野の緊急調査も始まりました(近現代建造物緊急重点調査事業)。調査の結果、重要文化財に指定されたものには、「国立西洋美術館」(1959年)、「旧神奈川県立近代美術館 鎌倉館本館」(1951年)、「国立代々木競技場」(1964年)などがあります。
Q : 三菱地所設計勤務時代に手がけた保存再生プロジェクトについて教えてください。
A : 丸の内の「明治安田生命ビル街区」(2004-05年)では、リビングヘリテージ(生きている遺産)である明治生命館(1934年)を守るため、建築基準法第3条による「歴史的建造物の適用除外」を受けた設計をしました[写真1]。特に、調査の結果、優れた錆止め加工のおかげで良い状態を保っていたスチールサッシをそのまま活用できたことは、コスト的にも文化財価値的にも良かったと思います。何でもかんでも取り替えずに、機能更新しながらも「Before」を残す。可逆性を保つことが、保存において目指すべきことだと考えています。
六本木の「国際文化会館本館の保存再生」(1955年竣工、2006年改修)では、坂倉建築研究所の故・阪田誠造さんの監修の下で設計をしましたが、彼の「保存のための再生」ではなく「再生のための保存」という言葉が印象的でした[写真2]。当初は使い続けるための機能更新と耐震補強を別々に検討していましたが、それを合体し、機能上必要な壁を耐震壁として活用。さらに地下増築とあわせて1〜2階の梁を取り替えることで、耐震性能を上げました。ここでも、前川國男が好んで使った大きなヒノキの木製サッシについて、そのガラスを複層ガラスに交換、サッシの一部にアルミの型材を入れて保存しました。文化財の修復に用いられる接木(はぎき)のような手法です。
続いては「旧ライジングサン石油会社社宅」、現在はフェリス女学院大学山手キャンパスの10号館として使われている建物(1929年)です[写真3]。横浜市の歴史的建造物にも認定されていて、2009年、市の補助で外装を修復しました。改修前はバウハウスのような白い壁面に黒いサッシの外装でしたが、着工後、外装を洗浄したらベージュの壁に緑色のサッシでした。本来はスパニッシュ様式だったのです。実はフランスの建築家、ル・コルビジエ(1887-1965年)のプラネクス邸やサヴォア邸も白だと思われていた外装がベージュだったことが最近わかり、世界遺産であるそれらの建物をベージュに塗り直す検討がなされています。パリの地下から採れる砂岩を砕いた左官材料を使っていたようです。色は「魔物」なのです。惑わされずに過去に忠実に再現することが重要です。
「衆議院議員会館」の改築に伴う、国会議事堂(1936年)との新しい連絡通路[写真4]の設計、接続部の改修も行いました(2010-12年、デザインアーキテクト:日建設計、景観アドバイザー:岡田新一、基本設計・実施設計:三菱地所設計・久米設計、設計・工事監理共同企業体)。実際に国会議事堂を見に行くと、中で使われている大理石は全て日本製だったので、通路の壁にも「霞」という山口県産の大理石を使いました。新議員会館の壁にはポルトガル産のモカクリームという石を使ってコストを抑えていますが、もろく、欠けやすいコーナー部を鹿児島産の田皆石(たみないし)というサンゴの大理石で補強しています。建築の保存においても地産地消、そして本物の素材を使うことが大切なのです。
「明治安田生命ビル街区」
「国際文化会館本館の保存再生」
「フェリス女学院大学山手キャンパス10号館
(旧ライジングサン石油会社社宅)」
当初は地上2階建ての計画だったが、大部分を地下に埋める設計に変更。
PROFILE
鹿児島大学教授
鯵坂 徹
あじさか とおる
1957年愛知県名古屋市生まれ、大阪育ち。1983年、早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻修了後、三菱地所株式会社(現:三菱地所設計)入社。2013 年、三菱地所設計を退社し、鹿児島大学大学院理工学研究科建築学専攻教授に着任。着任後は建築設計の授業を担当、近現代建築の保存再生や地域活性化、地域資産活用の活動やフィレンツェ大学との交流に取り組む。JIA 優秀建築選タスクフォース主査、JIA 九州支部鹿児島地域会幹事 ICOMOS 20th Century Heritage-NSC20C 委員、DOCOMOMO Japan 副代表、日本建築学会ワークプレイス小委員会委員等も務めている。
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