現在、三菱地所設計本店がある敷地、建物および仲通りの変遷を紹介する。
ここにあった第25号館(仲14号館)は桜井小太郎の設計で1917(大正6)年に竣工した。地下1階から地上3階までの4階4コマを1単位とし、ひとつの入口を設ける棟割長屋式である。1区画のテナント面積は17.5坪/階 × 4階=約70坪であり、入口や廊下を共用しないこの建物形式は日本人好みであったため、大正初期に借り手は多かったと思われる。外観は同時期(1914年)に竣工した日本工業倶楽部(横河民輔設計)に類似するものがあり、古典様式から分離した幾何学的なセセッション様式ではないかと推察される。
1964(昭和39)年、この第25号館跡地に、鷲巣昌の設計により三菱重工ビルヂング(後に丸の内二丁目ビルに改名、現ビルの南半分にあたる部分)が建てられた。1973(昭和48)年には三菱重工ビルは北側に増築、同時に三菱ビルの建て替えが行われた。9年後の将来の増築を想定していたのか、平面図の通り符号は⑨から付けられている。
増築後にもフロアプレートを目一杯確保することも見据えて、①通りは敷地境界ギリギリとなる6,676mmの柱スパンを用いたのだろうか……。
仲通りはこれまでの幅員13mから21mへ、特に歩道は片側4mから6mへと拡幅された。道行く人たちの目を楽しませる街路樹やグリーンベルトの花壇といった緑のネットワークの本格的な整備は、第18回オリンピック東京大会を控え、昭和39年の現・丸の内二丁目ビルの竣工時からスタートしている。
中左図:第25号館仲通り南西写真
中右図:グリーンベルト詳細図(仲通り断面図)
下図:三菱重工ビルヂング配置図兼1階平面図
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Update : 2021.09.01