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2020.04.01

連載|古図面の旅 No.24

東京停車場前三菱本社計画(大正6年)[2度も頓挫した三菱本社計画]

鰐淵 卓

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本稿では、実現しなかった三菱合資会社の本社計画案を紹介したい。

この計画案は大正6年の末に描かれたものだが、三菱社が本社を計画するのはこれが初めてではない。明治末期に本社ビルの設計コンペが実施されたが、当選案は実現せず、かわりに地所部内で設計した「仮本社」が現在の三菱ビルの敷地に建設された。その竣工直前に描かれたのが、この本社計画案である。

まず注目されるのは、冒頭にある「三菱本社総延坪統計表」である。三菱社が入る事務所の延床面積の変遷をグラフ化したものだが、大正3年頃から急激に増加しており、当時いかに事務所床の需要が増大していたかがわかる。計画の延床面積は約13,500坪で、それまで入居していた約2,500坪に、建設中だった「仮本社」約3,100坪を足しても、倍以上の規模で計画された。

図面を見ていくと、東に「停車場前通」(大名小路)、北に「四拾間道路」(行幸通り)との記載があるため、現在の丸ビルの敷地を計画地としたことが読み取れる。立面は、開業当初の東京駅前を正面として、堂々たるアメリカ式高層オフィスビルの外観である。お世辞にも良い建築計画とは思えないが、平面および断面は非常にユニークで、ロの字型平面を持つ6階建ての本館と、それに囲まれた中庭中央の附属屋で構成される。とはいえ、その外観や規模は、後の丸ビルを予感させる計画ではないだろうか。丸ビルのように「ストリート性」を内部に取り込むなどの画期的なプランにはまだ至っていないが、それから5、6年後にでき上がる丸ビルのひとつの原型のように、私には感じられる。

理由はわからないが、またもや本社計画は実現しなかった。この翌年、竣工したばかりの「仮本社」は、床面積のひっ迫した状況を受けてか、早速増築が開始された。この後、本敷地には貸しビルとして、近代的オフィスビルである丸ビルが検討されることになる。そこに至る経緯は、またの機会に解明したい。

上左:東京停車場前三菱本社計画案 三菱本社総延坪統計表(但銀行部ヲ除ク)
上右:東京停車場前三菱本社計画案 東立面図
下左:東京停車場前三菱本社計画案 第一階平面図
下右:東京停車場前三菱本社計画案 断面図

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鰐淵 卓

わにぶち たく

自分が身を置く街や環境がどんな経緯で今の姿になったのか。古図面を見る時、時代の空気や設計者の気概を臨場感たっぷりに感じながら、今の当たり前の都市・建築が図面に描かれたまさにその瞬間に立ち会うことができます。

Update : 2020.04.01

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