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2016.06.01

連載|古図面の旅 No.09

臺灣(たいわん)銀行東京支店(大正5年~昭和後期)[桜井小太郎に見る基礎形状の変遷]

野村 和宣

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丸ノ内建築所は、早くから三菱以外のクライアントの仕事も請け負っていた。大名小路と永代通りの交差点に建っていた臺灣銀行東京支店。1916(大正5)年竣工の割りと早い時期の鉄骨鉄筋コンクリート造。設計のトップは、桜井小太郎(以下、親しみを込めて「小太郎さん」と呼ぶ)である。この建物、上下で銀行とテナントが同居しており、セキュリティ分離をしつつ銀行の将来増床に対応するなどの工夫が見られて興味深い。中でも私が気になったのは基礎の形状である。外周壁面より外側に基礎が思いっきり張り出している。どうしてだろう。そこで、小太郎さんが入社する前にまとめられた1 9 1 4( 大正3) 年竣工の三菱二十一号館の実施設計図を見たが、張出し基礎になっていない。ところが、小太郎さんが臺灣銀行の次に手がけた1 9 1 8(大正7)年竣工の三菱二十二号館(三菱仮本社)では、同じように張出し基礎になっていて、基礎の下にものすごい数の松杭がビッシリ打ちこまれている。おそらく、軟弱な地盤に対応してできる限り基礎の面積を大きくし、摩擦杭で支持しようと考えたのであろう。では、小太郎さんの代表作である1923(大正12)年竣工の丸ビルではどうだったのか。構造設計部小川部長の論文によれば、丸ビルは柱一つひとつの下に独立したフーチングがあり、なんと梁で結ばれておらずB1階の床スラブでつながっているだけ。しかし、フーチング下の松杭は約20m の長く固い東京礫層にまで達していた。わずか10 年でもめまぐるしく基礎形状が変化しているのは興味深い。

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野村 和宣

のむら かずのり

建築や都市を鑑賞する際、専門家の意識を取り除いて、できるだけ素の人間としての自分になって観るように心がけています。美味しい料理が理屈なく美味しいと感じられることと同じように。

Update : 2016.06.01

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