DISCUSSION

Vol.16

伊東正示+丸山健史 株式会社シアターワークショップ
劇場空間の現在、そして未来
――― 広場的空間の研究vol.3[前編]

2019/9/20

秋田県由利本荘市文化交流館「カダーレ」(開館:2011年/設計:新居千秋都市建築設計)。
シアターワークショップは設計コンサルティングから参加し、現在も運営管理をサポートしている[写真:シアターワークショップHPより転載]

これからの広場的空間のつくり方、使い方のヒントを探る「広場的空間の使い方」シリーズ。第3回目のゲストは、1983年の設立以来、日本全国で劇場やホールのプロデュースを手掛けるシアターワークショップの代表・伊東正示さん(写真右上)と、執行役員・丸山健史(写真右下)さんです。実績は200館を超え、昨年プロポーザルを獲った「新鹿島市民会館(仮称)」(設計:古谷誠章+八木佐千子/ナスカ)で佐賀県の実績が加わることになり、これで47都道府県全てを網羅することになるそうです。

Q今、コンサートやライブ、舞台などのライブ・エンタテイメント市場は活況を呈しているそうで、新しい劇場やホールも続々とオープンしていますね。

A : 数年前には、首都圏の既存大型施設が2020年東京オリンピック開催に向けて改修や建て替え時期に入り、会場不足を引き起こす「劇場・ホール2016年問題」が深刻化すると言われていました。一方で、コンテンツの多様化が進み、ライブを楽しみたいというニーズは上昇傾向にあります。増える需要に対して会場が不足している状況でしたが、今は改修を終えた施設が新しい空間に生まれ変わって再オープンし、さらに今までにはなかったような新しい施設も次々と計画されています。シアターワークショップは今年で創業36年目を迎えますが、今がもっとも忙しいと言っても過言ではありません。

2012年に「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律(劇場法)」が制定されましたが、その中で「さらに現代社会においては、劇場、音楽堂等は、人々の共感と参加を得ることにより『新しい広場』として、地域コミュニティの創造と再生を通じて、地域の発展を支える機能も期待されている。また、劇場、音楽堂等は、国際化が進む中では、国際文化交流の円滑化を図り、国際社会の発展に寄与する『世界への窓』にもなることが望まれる。」と示されています[スライド1]。これからの劇場・ホールは、舞台芸術を上演する場というだけではなく、「新しい広場」としての機能も期待されています。逆の見方をすれば、広場が劇場として活用されるなど、あらゆるところがシアターになりうる時代がやってこようとしています。

弊社のスタッフはみな舞台芸術が大好きで、劇場に関わっていられることがなによりの喜びというメンバーばかりなので、そんな時代への期待で非常にワクワクしています。近年の劇場、ホールではどんな新しい空間が生まれているのか、詳しくご紹介する前に、日本における劇場空間の現代史(1960年以降)を振り返りたいと思います[スライド2]。



戦後復興期の日本では、全国各地に公会堂や市民会館が建設されました。しかし、これらの施設は人を集めて大会や集会を行うことが主目的であり、「大きな客席、小さな舞台」が特徴で、舞台芸術のための空間と呼べるものではありませんでした。前回の東京オリンピックが開催された1960年代、東京文化会館(1961年)、日生劇場(1963年)、国立劇場(1966年)など、今も親しまれている大型文化施設が東京に相次いでオープンします。さらに1968年に「文化庁」が創設され、1970年代に入ると地方でも文化会館や文化センターの建設ラッシュが起こります。

しかし、これらの施設は「公共施設」であるがゆえに、芸術文化のためだけでなく、講演や映画上映なども対象にした多目的ホールとして設計されました。そのために「多目的は無目的」「多目的は他目的」と言われるように、どの演目にとっても満足のいくホールではありませんでした。そこで、1980年代には音楽や舞台などの専門性を求める観客や演出家、演奏家の要望が高まり、専用のホールが民間でつくられるようになります。例えば、演劇専用の本多劇場(1982年)や、クラシック音楽専門のサントリーホール(1986年)などです。さらには、劇団四季がミュージカル“CATS”を上演するためだけにつくった仮設劇場、キャッツ・シアター(1983年)などがあります。多目的ホールから主目的ホールへと機能転換され、先の第一世代を「施主の時代」とすると、この第二世代はいわば「芸術家の時代」です。舞台空間の広さや舞台特殊設備も充実し、時代の流れとともに、まずは舞台の機能から次第に良くなっていきました[スライド3]。

1990年代に入ると、公共施設はさらに巨大化し、東京芸術劇場(1990年)や彩の国さいたま芸術劇場(1994年)、新国立劇場(1997年)、滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール(1998年)など、本格的なオペラや世界的に有名なバレエ、コンテンポラリー・ダンスの公演にも対応できる大舞台が誕生します。さいたま芸術劇場では、大ホールは客席よりも舞台の方がはるかに大きくなっています。その他にも、オペラハウス、コンサートホール、演劇劇場、実験小劇場と複数の専用ホールを持ち、創造部門、つまり作品づくりに必要な機能(練習室、稽古場、製作場、情報センター)も充実させた巨大施設「パフォーミングアーツセンター」がいくつもつくられました。

しかし、このようなフルスペックで超専門的な舞台と当時の人びとのニーズに乖離が生まれ、客席はガラガラという状況も少なくありませんでした。その機能は十分に使い切れず、維持管理の費用ばかりがかさみ、せっかくの本格的な施設も無駄になっている。そんな状況に対し、第三世代となる「観客の時代、創客の時代」がやってきます。これまでは舞台に立つ人たちが主役という考え方でしたが、客席に座る人たちこそが主役であるという考え方から生まれたのが「パブリックシアター」です。質の高い演目を行うことはもちろんですが、まずは市民に劇場へ足を運んでもらえるような工夫を行って日常的なにぎわいを創出し、まちづくりや人づくりにつなげていこうという市民参画型の公共劇場がつくられるようになりました。1994年に芸術文化振興による地域づくりを支援する財団法人地域創造が設立されたことも後押ししました。代表的な施設は世田谷パブリックシアター(1997年)です。今は、芸術監督は狂言師の野村萬斎さんが務めています。専任の制作や技術スタッフが配置され、市民向けのレクチャーやワークショップも盛んに行われています。

我々が参加して、新居千秋さんが建築学会賞(作品賞)を受賞した黒部市国際文化センター コラーレ(1995年)でも、計画の初期段階から市民ワークショップを行いました。当初は大きなホールを3つつくる予定でしたが、市民との話し合いの中で計画を変更しました。会議や展示、集会ができる空間を設け、平日でも多くの市民に利用される施設になっています。

[スライド1]劇場、音楽堂等の活性化に関する法律(2012年制定)

[スライド2]現代日本劇場史(1960 年代~)

[スライド3]SD 別冊No.24『演劇のための空間』(発行:1994年/鹿島出版会/編著:伊東正示ほか)。
論考「演劇空間の現在」において、ファッションショーなど、
周辺領域の舞台芸術化の動きに対応する新しいタイプの劇場空間の必要性を説いた

[スライド1〜3:シアターワークショップ提供]

伊東正示/株式会社シアターワークショップ 代表

PROFILE:いとう・まさじ/1952年千葉県⽣まれ。早稲⽥⼤学理⼯学部建築学科卒。同⼤学院で劇場・ホールについて研究。在籍中より⽂化庁(仮称)第⼆国⽴劇場(現:新国⽴劇場)設⽴準備室の⾮常勤調査員として活動。1983年、⾹川県県⺠ホールの計画を機にシアターワークショップを設⽴。⼀般社団法⼈⽇本建築学会、公益社団法⼈⽇本建築家協会会員。劇場演出空間技術協会理事。劇場芸術国際組織⽇本センター副会⻑、建築・技術委員会委員⻑。2008年「職能としての劇場コンサルタントの確⽴と⼀連の業績」で⽇本建築学会賞(業績)受賞。



丸山健史/株式会社シアターワークショップ 執行役員

PROFILE:まるやま・けんじ/1980年東京都⽣まれ。早稲⽥⼤学第⼆⽂学部在学中に社⻑の伊東と出会う。卒業後、映像制作会社に就職。宣伝部に所属し、イベントのプロジェクトにも携わる。その後、⽂化エンタテインメント担当としてメーカーの都市開発プロジェクトに参加した後、シアターワークショップに⼊社。

ARCHIVE