丸ビルと新丸ビルは、東京駅前に行幸通りを挟んで双子のような存在と思われるが、現在のビルも似てない。なぜかと疑問に思うことがあると思います。しかし歴史を紐解くとそもそも双子と考えていないことが分かります。今回は、旧新丸ビルの設計経緯を読み解き、その謎に迫ります。
新丸ビルは大正7年頃に「ジャパンホテル」として計画され、昭和5年には、ホテルとオフィスの2つの用途で検討されている。ホテルは7案、オフィスは5案作成されている。ホテル案は、中庭側にも開口を持つ櫛形のプランと丸ビルと同じく2つの中庭を持つ平面計画、ホテルとオフィスのツインタワーでの計画、デパートメントストアとの2棟構成の計画があり、多彩な計画を検討されているが、どの案も高密度に客室を配置していることから、客室間の見合いが気になったであろうと思われる。オフィス案は1階にアーケードを有し、上層階では3つの中庭を持つ形式、櫛形の形式を持つ案など、いずれも奥行きの深い敷地に対してのプランが検討されており、この当時では、まだ窓からの明かりに頼った平面計画であることがわかる。また、オフィス案のB案については、内観スケッチが残されており、重厚感のあるオフィスエントランスが描かれている。ホテルでの多彩な検討をみると、絶対高さ規制があった当時、いかに客室を多く配置できるかのスタディであったと考えられる。恐らく、奥行きが深く、高さ規制があった当時では、ホテルを計画するのに苦心したと思われ、オフィス需要の増加とともにホテルは断念したのではないだろうか。そして、昭和11年から丸ノ内ビルヂングとの調和を考慮してオフィスとして本格的に設計され、昭和15年3月に竣工の予定であったが、戦時金融統制の影響により、基礎部分のみ構築して工事は中断された。そして、戦前のビル名称は「東京館」であったが、戦後に「新丸ノ内ビルヂング」となり、昭和27年11月18日に竣工している。ビル名からも当初は、丸ビルとは違ったビルヂングを目指したことがうかがえる。
上中:昭和5年 オフィス検討案 C案 丸ビル形式プラン
上右:昭和5年 オフィスとホテル別棟案 F案
下左:昭和5年 ホテルとデパートメントストア別棟案 G案
下中:昭和11年 3つの中庭形式オフィス案 C案式プラン
下右:昭和11年 オフィス検討案 B案 オフィスエントランススケッチパース
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江島 知義
えじま ともよし
歴史的建造物に関わる楽しみは、推理小説を読むような謎解きにあります。なぜ、このデザイン? 納まり?など、原設計者と会話をするように謎を解き、オリジナルを探し求め、そこに新たな価値を見い出すようにしています。
Update : 2018.06.01