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2017.03.01

連載|古図面の旅 No.12

仲十二号館六号新築
[川元良一の図面]

野村 和宣

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1920(大正9)年に竣工した仲十二号館六号(場所は現在の丸の内パークビル北側真ん中あたり)の設計図について紹介する。捺印から桜井小太郎技師長の下で川元良一が意匠設計、山下寿郎が構造設計を担当していたことがわかる。川元は、1914(大正3)年に現在の東京大学を卒業し三菱合資会社地所部に入社した。三菱銀行本店や仲十二号館六号を担当し、後に丸ビルにも関わっている。関東大震災後に転職して同潤会の建築部長に就任、その後独立して奥野ビル(旧銀座アパートメント)、九段会館(旧軍人会館)、田村町日産館(現存せず)などを手掛けた。
さて、仲十二号館六号の図面を見てみよう。地下1階、地上4階のRC造、平面は短手が2スパン、外周が壁柱、中央に丸柱が並ぶとてもシンプルな形態である。ファサードは三層構成を呈しているものの、高い縦窓が等間隔で並び、装飾は少なく幾何学的だ。矩計図を見ると、煉瓦造時代と同じように高さ方向のタイル割付段数が記されている。目地幅が12mm~15mmと煉瓦目地寸法と比較して大きく、しっかりした入り目地になっている。基壇のタイルはウマ(横に並ぶタイルを半枚ズラして交互に貼る)ではなくイモ貼り(タイルの目地を縦横に通して貼る)、窓の間の柱型は擬石仕上げで出隅にのみタイルを貼っている。つまり、煉瓦造から発展したタイルのそれまでの掟を脱し、「鉄筋コンクリート造だから自由なのだ!」と言わんばかりの使い方になっている。彼が後年設計した帝冠様式で知られる九段会館(1934年)を見ても、外装タイルは段ごとに出っ張りや引っ込みをつけた自由な使い方だし、屋根の本瓦はカクカクした形状、柱頭の兜?の装飾も幾何学的でガンダムっぽい。川元の手掛けた仲十二号館六号の図面は、RC造とタイルによる自由な外装デザインの時代が到来した初期のものとして興味深い。

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野村 和宣

のむら かずのり

建築や都市を鑑賞する際、専門家の意識を取り除いて、できるだけ素の人間としての自分になって観るように心がけています。美味しい料理が理屈なく美味しいと感じられることと同じように。

Update : 2017.03.01

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