1979年 今から32年前、この年日本では第二次オイルショックが起こり高度経済成長は終焉を迎えつつあり、僅かながら低成長時代へ移行する兆しが見え始めていた。しかし高度経済成長の影を引きずり、大気汚染は深刻な状況であり、都内の幹線道路沿いでは高い頻度で光化学スモッグが発生し、我家でも生まれて間もない長男は喘息とアトピーに悩まされる状態であった。
この年、私はアフリカ大陸の南東部に位置する、けっして豊かとは言えないマラウィという国の国際空港建設プロジェクトに参画するため、妻とその頃1歳の長男を連れて現地に赴任した。私たち家族の住んだ場所は標高千メートルの高地にあるマラウィの首都リロングウェというところだったが、当時、当地の空気の清浄度は様々なデータを見るまでもなく素晴らしく高く、日夜展開される天空の動きの美しさは時間を忘れさせる程の魅力を持っていたし、生息している野生の動物達も素晴らしく輝いていた。その自然環境の中で、長男の喘息とアトピーは数週間で跡形もなく回復した。
3年間の任務を終え東京の自宅に帰ると、長男は東京で生まれた長女と共に再び同じ病に悩まされたが、その2年後に今度は空気清浄度の高い米国オレゴン州ポートランドに家族で赴任する機会に恵まれ、その自然の恵みに浴すると瞬く間に子供達の病は完治してしまった。
東大の村上周三先生によれば、人間は環境化学物質の83%を空気(肺)から取り込み、食品からは7%、飲料からは8%程度であり、食品や水分は肝臓などによって有害物質を解毒する機能があるが、気管や肺には解毒機能はなく、有害物質は直接、肺から血液に入るそうだ。このように、健康な生活にとってきれいな空気は欠かすことのできない要素なのである。
最近、上海とシンガポールを訪れる機会に恵まれた。上海の晴れた日でも太陽が月のようにぼやけて見える天空に、世界の生産拠点の苦悩を見ると共に、世界大気汚染マップが中国を中心に真赤に染めあげられている状況に、経済発展の為に地球が流した犠牲の血液を見る思いがする。
これに対し、アジアの先進国であるシンガポールでは大気の清浄度も保たれ、歴史、気候、交通、治安、ホスピタリティ、水と緑に恵まれ、未来を切り開こうという強い政治指導の下、この都市がしっかりと魅力に溢れたデザインに満たされ、世界都市間競争のリーディングランナーとしての存在感を増大させつつあるダイナミズムを感じた。
一方、日本は原子力発電所からの大気や水系への放射能汚染に翻弄されている試練の時期にある。今後の国際都市間競争の大きな要素として、空気の清浄度は大切な指標となることは必至であり、日本の今後一層の飛躍の為にも、新たな技術をもって原発の放射能汚染を早期に克服し、ピンチをチャンスに転換してゆくことが期待される。
また、明日への持続可能な安定成長へのリンクを世界に向けて発信してゆく為に、日本が高度経済成長時代から蓄積してきたスマートエネルギー技術、スマート交通システム、大気、水系へのストレスの少ないクリーンな産業生産技術及び各種環境浄化システムを更に深化させ、地球をきれいな空気で満たす役割を一歩ずつ着実に果たし、その成果を世界に向け強くアピールする必要がある。
世界に向けたそのメッセージは、東京をそして大阪を世界でも有数なクリーンな“誰もが訪れたい、住みたい、集い働きたい街”として創り上げてゆくことに託されるべきではないだろうか。
Update : 2012.04.01