その家はボストンの郊外を車で30分程、ニューイングランド地方特有の丘陵林間地帯を走りぬけた場所にある。小さな白い案内看板は、余程注意して走っていないと見過ごしてしまう。砂利を敷いた駐車スペースに車を止めたその先に、小さな白いボクシーな2階建ての家が見える。これがグロピウスハウスである。モダニズムを代表する建築家であり、バウハウスの創立者でもあるグロピウスが、1938年にハーバード大学に招かれ、家族と共にこの地で過ごすために建てた家である。この家は、現在はニューイングランド地方の歴史的文化財の管理団体により維持され、一般に公開されている。その日も夕方の雨模様の天気にかかわらず、十数人程度の若い見学者がガイドの案内を待っていた。皆が皆、建築やデザインの学生とも見えないが、この地域に一般的なニューイングランドスタイルの様式的な家を見慣れた彼らにとって、この家はどのように見えるのであろうか。
グロピウハウスは、とても慎ましやかである。決して広くはなく、エントランスから螺旋階段のあるホールに至る空間は、日本の一般的な住宅よりも狭いぐらいのスペースである。使用する材料もこの地方特有のリブ状の木製壁材やレンガ、自然石、それにプラスターやガラスブロック、クロムメッキの金物など、当時の新しい素材を組み合わせたものであり、特別高価なものではない。ガイドの説明によれば、多くの部材は既製品でありカタログで取り寄せることが出来る物だとのことである。しかしこの家は、とても豊かな空間を持ち自然光に満ち溢れ、現代人の目を持ってしても、とても住み心地が良さそうに見える。勿論、この家は、グロピウスが提唱するモダンデザインを凝縮し具現化したものであり、バウハウスの職人たちの手によるブロイヤーの家具など、モダンデザインの宝庫でもある。しかしこの家には、ともすればモダンデザインが陥りやすい排他的な冷たさはひとかけらもない。美術館で見るブロイヤーの椅子とは違い、ここにある同じ椅子はとても座り心地が良く快適に見える。モダンデザインが人の生活の快適さを目指し、人の生活と深く結びついていることがこの家を見ていると再認識される。
この家には現代人の住宅に要求されるプライバシーとパブリックな空間の関係、子どもの成長への配慮、生活を楽しむための配慮、親しい友人とともに食事をする時への配慮など、現代的な生活要素に対する配慮が全て存在する。そして現代住宅にも度々取り入れられるデザイン要素の数々。周囲のランドスケープを慎重に、しかし積極的に取り入れる大きなピクチャーウインドーや横長の連装窓、四季変化する太陽光をコントロールする庇、ダイニングルームに続く半島状に突き出た半戸外のテラスポーチ、主寝室とそれにつながるドレッシングルームに広がりと仕切り感を与えるガラススクリーン、ルーフテラス、ホールのコートハンガースペースや軽やかな螺旋階段など、その後の住宅に取り入れられたデザイン要素のあらゆるものがここにある。ステンレス製シンクと一体になったステンレスカウンターを持つキッチンは、その当時には非常に珍しい食洗器やディスポーザーまでも備えている。
およそ70年前に建設されたこの家は、昨日ここに建てられたと説明されても全く違和感はない。それ程、現代的であり、現代人の生活にも適合している。この家は、グロピウスが提唱するモダンデザインが自然と共生しながら、快適に暖かく包み込まれるような感覚を持って暮らせることと、現代の住宅をデザインするのにもまだまだ有効であることを私たちに示してくれている。是非一度、訪れることをお勧めしたい。
Profile
大内 政男
おおうち まさお
元株式会社三菱地所設計 代表取締役社長
Update : 2009.11.01