「三菱一号館」の復元は、まず「旧三菱一号館復元検討委員会」(2003年12月─04年3月、委員長:伊藤滋早稲田大学教授、事務局:日本都市計画学会)において、目的と意義が「報告書」としてまとめられた。そのひとつに「当時の技術を解明し、体験・継承する価値」とあり、当時とできる限り同じ材料・工法を使い、原位置に復元をすることとされた。さまざまな史料を研究・分析して作成された設計図ではあったが、技術の伝承が途絶えつつある煉瓦組積造のものづくりについては、参考になる文献も少なく、まさにゼロから向き合わなければならなかった。そのため、部位ごとに課題をまとめ、監理業務がスタートした。それは、解決策を施工者や専門会社と共に導き出す協同作業であった。
各種材料の製造や手作業を前提とした手法や技量を確保するのは容易ではなかった。解体時の写真や保管部材から材種を割り出し、当時と同じ物を可能な限り調達した。不可能な物は組成、質感、色調等が近似した物とした。品質基準は保管部材を基に決めたのだが、感心させられたのは、明治期にもかかわらず丁寧な手づくりで驚くべき品質が実現されていたことであり、技量の確保という課題も浮き彫りになった。技量については、残る史料に当時の歩掛りや施工方法の記録はなく、実物試験体により検証を行った。
三菱地所設計が三菱地所のインハウス設計事務所であった歴史から、自らの家をつくるがごときの意識と思い入れがDNAとなり、今回はそれを存分に発揮する機会であった。余談ではあるが、当時現場で監督したのは曾禰達蔵(1852─1937年)であると思われるが、当時の彼とわれわれ監理者は同年齢であり、時を超えて同じく手探りでものづくりに向き合うことに運命を感じた。
復元した「三菱一号館」
旧「三菱一号館(第1号館)」
| 煉瓦 |
躯体に使用される指定建築材料は確立されたものであるが、煉瓦は復元の観点から色調・質感・寸法等、精度の高い要求がある一方、基準法の観点からJIS 規格性能を満足させつつ、製造量を確保する必要があり、ものづくりの原点に向き合う必要があった。
既に、日本での煉瓦製造は金型で押出成形する近代的製法となっていたため、明治期と同様の製法で煉瓦をつくるためには何よりも先にこれが可能な製造工場を見つける必要があった。そこで、当時近代的製法への移行期であった中国へ渡り、貴重な保管煉瓦と照合し、何度も試し焼きを行い、色調・質感を合わせることができた。次の課題は寸法精度であり、保存されている写真に写る目地幅となるような製品精度を目指し、試行錯誤は続いた。施工者決定後は、その精度の必要性を共有するために、現存する明治の煉瓦建築物を求めて共に全国を奔走した。築後100年を経ても、なお健在の数々の建築物から、煉瓦組積の精度は、意匠性に加え、建物の強度に直結するという確証を得た。物性確認は、強度や吸水率を現地試験場にて計測を繰り返し、最終的には組積体としての強度を確認した。最後の難題は約250万個の煉瓦製造が追いつくかであった。試し焼き時点で、大雨で浸水したため窯が水蒸気爆発し一時製造不能になるという苦い経験をしたこともあり、製造リスク低減のため、複数の工場の開拓を余儀なくされた。
一方、技能確保については、施工者と共に技術の復活による伝承を目標に掲げ、全国の煉瓦職人の技能確認を行いつつ施工体制を構築した。煉瓦材料ひとつを取っても、これだけの物語があるほどにものづくりに向かい合う工程となった。
旧「三菱一号館(第1号館)」立面
旧「三菱一号館(第1号館)」矩計図(原図は縮尺1/20)
旧「三菱一号館(第1号館)」断面詳細 縮尺1/200
❶ 煉瓦の成形の様子。型枠に煉瓦を詰めてプレスする。
❷ 煉瓦の色調の検討。当初材を基に5段階の色幅を決め選定する。
❸ 煉瓦の組積工事の様子。
❹ 保存部材の石の小叩き仕上げを観察し仕上げ基準を決定した。
❺ 石の小叩きはすべて手作業で行われた。
❻ 屋根スレートの留め付け工事の様子。
| 石 |
一部保管されていた当初の材は横根沢石(神奈川県、安山岩)であり、同じ石は入手困難であったので代替品を探すことから始まった。加工のしやすさも含め選定した福島県産の江持石は、色幅が大きく、丁場の段階で原石に番号を振り、使用部位・箇所を決め加工を行った。
石材は外装の装飾性の高い彫刻による細かなディテールが施されていたが、保管されていた当初の材の多くには残っていなかったため、記録写真からの復元となった。写真をいろいろな角度から比較し、同時代の建物を視察し、彫りの程度を参考に粘土で部分モックアップをつくり工場で最終の確認を行った。彫りの程度はなかなか伝わりにくく、職人と直接のやりとりが非常に重要であった。加工場出荷前に基壇石は積み上げて、窓枠石・玄関石等は敷き並べて仮組みし、色味を含め仕上がりの確認をすべてにわたり行った。加工での誤差はすべて目地に表れてくるため、その精度には細心の注意が払われた。
石は現代であれば化粧材として貼り付けることが多いが、組積造では構造材としての役割がある。施工では、石と煉瓦を交互に積み上げる部位があり、作業手順は事前のモックアップ製作段階で確認した。加工での誤差がすべて目地に表れてくるため、加工精度が重要となり細心の注意を払った。
石・煉瓦、単体の精度を確保しながら、多少の誤差は目地のバランスで調整し、よい塩梅に、それなりに美しく積み上げていくのは、創建時も現代も職人の技によるところが大きいことを感じた。
| 小屋組/実物大の仮組み |
小屋組に使う無垢のベイマツ材は十分な乾燥を施し、奈良の宮大工の手によって刻まれた。原寸図による納まりの確認、仮組み検査は施工工区ごとに行い、仕口回りの納まり、接合金物位置、組み立て順序の確認を行った。宮大工親方衆は、それぞれの経験に基づく架構納まりの技術を有する。復元図面と同一ではなくとも、彼らの提案は、こちらの知識不足を埋め得るだけの経験に裏打ちされたものであり、何度も加工場で議論を重ね、復元の方向性を決めていった。
| 屋根板金 |
屋根は天然スレートと銅板によって葺かれ、棟には棟飾と装飾性の高い避雷針が取り付けられていた。通り沿いのドーマー窓には板金装飾が施され、石の装飾と共に正面玄関としての華やかさに彩りを添えていた。このドーマー窓の板金装飾は、解体時に実測図が残されておらず、記録写真から寸法やデザインを復元する必要があった。記録写真は、通りからの見上げ写真が多く真正面から撮影したものはない。そこで、見上げの立面写真をトレースし、背景にある屋根面のスレート枚数と比較しながら縦方向の歪みを補正、最後に現場に原寸大の図面を掲げ、縦方向の寸法を確認して形状を決定した。
馬場先通り側のエントランスを見る。
南面上部を見る。
| 屋根スレート |
屋根の天然スレート材は宮城県雄勝町産であったが、現地は既に一部の住宅用や工芸品のみの生産規模となっており、全数数量確保は不可能であった。しかし何度か現地に赴き、熱意を込めて懇願し、少量ではあるが供給してもらえた。その時の会話で製造や施工の技術を教えてもらえ、技術の伝承のひとつとなった。雄勝町で調達できなかったスレートは、物性や色調等世界の産地を比較検討し、スペイン産とした。幸いスペインでは高品質なスレートの生産体制は存続していた。
復元というものづくりへの取り組みの数々で、それ自体が挑戦であったのだが、さらなるものづくりへ向き合うもう一歩が必要であった。それは性能確保のための取り組みであり、これによりよき伝統を守れたのではないかと思っている。